福井の幕末は、江戸、京都、長崎と密接な関係にありました。松平春嶽公、三岡八郎(由利公正)に代表される福井の偉人は、幕末の志士とあるときは手を結び、あるときは対立しながらこの福井で新しい国づくりに邁進していったのです。龍馬はそのパートナーのうちの一人。来福は、研究する人によっては4回とも5回とも言われますが、文久3年(1863)と慶応3年(1867)の2回は間違いないようです。
福井の町には、幕末の歴史を垣間見る、龍馬来福のあとが多く残っています。
「福井ゆかりの人物を調べよう!坂本龍馬編」
(福井市郷土歴史博物館)
【徒歩】10分(約0.7km)
祭神は福井藩第16代藩主松平春嶽公。境内の恒道神社には、橋本左内、中根雪江、鈴木主税を祀る。
昭和18年に創建され、後に日本最後の別格官幣社に指定された。当時は総檜造りの社殿であったが創建後間もなく戦災で焼失、昭和32年には福井大学工学部の設計により、総コンクリート造りという独特の様式で再建された。
【徒歩】5分(約0.4km)
御祭神は、福井藩祖松平(結城)秀康公、徳川家康公、松平慶永(春獄)公の三柱。
春獄公が、福井が栄えるようにと佐佳枝廼社(さかえのやしろ)と命名。
初詣に始まり、節分祭、春祭(5月2日~4日)、七五三(10月15日~11月30日)他様々な神事や行事で社頭は賑います。
【徒歩】4分(約0.3km)
藩主松平春嶽にその学才と見識を認められ、藩政に参画した橋本左内。24歳で藩校明道館の経営を任され、藩士の教育に力を注いだ。他藩の志士とも交友が深く、薩摩藩の西郷隆盛は、自分が年上にも関わらず「君を兄として仕える」とまで言い、左内の優れた才能に敬服していたという。幕府の後継者問題や外交問題でも奔走するが、対立する井伊直弼が大老になり、「安政の大獄」で、26歳の若さで処刑された。
【徒歩】4分(約0.3km)
【徒歩】14分(約1.0km)
慶応3年(1867)11月、坂本龍馬が暗殺される前に、由利公正と新政府の構想について会談した旅館。夜更けまで日本の将来を語り合ったと言われている。その後火事で焼失した寄留宅の跡に建てられた石碑。
【徒歩】15分(約1.2km)